こんにちは!日本橋店の今村です。
1月は居ぬ、2月は逃げる、3月は去る、とはよく言ったもので、先日クリスマスだのお正月だの言うていたのが嘘のようです。
節分で大量の恵方巻が廃棄され続けていることが問題になったかと思えば、世間はチョコレートの甘い香りに包まれて、桃の節句も終えて、次のイベントはホワイトデーでしょうか?
年々一年が過ぎるのが早くなっていきます。
さて、突然ですが劇団突撃インタビューのお時間です。
■劇団突撃インタビューって?
【観劇三昧】とつながりが深い、噂の「あの人」に観劇三昧が突撃インタビューします!
俳優/脚本・演出家/劇団代表など、普段は舞台の上でしか見ることができないあの人の、
なかなか聞けない本音や裏話、演劇に対する想いを存分に語っていただきます。
これを読めばもっと劇団が好きになるかも?知らない劇団なら、知るきっかけになるかも?
そんな、日常にちょっとしたワクワクをお届けするコーナーです。
今回は初めて、メールインタビュー形式でおこなってみました。
インタビューの内容に入る前に、少しだけなれそめをお話させてください。
このブログを読んでくださっている方は、だいたいおいくつぐらいの方が多いのでしょうか?
ちなみに私は立派に昭和生まれ、”アラサー”というのもそろそろおこがましい、ぴっかぴかの33歳です。
皆様は、きっと演劇が好きで好きで仕方ないかたばかりだと思います(たぶん)。
演劇を好きになったきっかけは何ですか?
私は中高となんとなく演劇部でしたが、高校生の時に観た演劇が衝撃的で、そこから演劇に携わりたいと強く思うようになりました。
それすらもう18年も前のことでちょっとくらくらしてしまうのですが。
ちなみにこの作品で観た俳優さんやスタッフさんの半数ぐらいが今でもばりっばり演劇界で活躍されていて大変感慨深いです。
さらにさかのぼって、自分の生まれるよりも昔の演劇に触れたことがあるかたはいらっしゃいますか?
例えば1970年代のつかこうへいさん。
2010年にお亡くなりになられて、その追悼企画公演に携わったことがあります。
「蒲田行進曲」の映画はDVDで何度も何度も観ましたが、舞台版は映像ですら観たことがなかったりします。
当然生で観る機会は永遠に失われたままです。
演劇というものはあくまでも<生もの>です。
時を超えて語り継がれることはあっても、実際に体感することは難しい。
例えば「おいしいお肉」の説明を受ければ、ある程度の想像はつきます。
ほろりと崩れる食感、甘い脂の味、鼻に抜ける旨味ととろけるような後味。
けれど、食べたこともない未知の果物の味をどれだけ口数多く語られても「おいしそうだねぇ」としか言えない。
そして、その果物はもう写真や映像の中にしか存在しない。食べたことのある人から感想を聞いて、想像するしかない。
「かつての演劇」というものは、それぐらい儚くて、そして夢を見られるものだと思っています。
今回インタビューをお願いしたかたは、その「かつての演劇」から「現在の演劇」まで携わられているかた。
1980年に川村毅さんによって設立され、2010年に30年の活動に幕を閉じた「劇団第三エロチカ」。
そして現在は川村毅さんの新作戯曲プロデュースカンパニーとして活動を続けられている「ティーファクトリー」。
劇団第三エロチカの途中から現在まで30年超の間、制作として携わられている、平井佳子さんにお話しをうかがいました。
そもそも平井さんにインタビューをお願いしたのは、スタッフがティーファクトリー「ハムレットクローン」の作品紹介のブログを書いたことがきっかけです。
そのスタッフは20歳を少し超えたばかり。そしてこの作品は2003年の作品。
今彼が触れ、好きだと思う《演劇》とは少しばかり毛色が違います。
ブログを書くときは、映像作品を観たり劇団のことを調べたりをもちろん行いますが、なかなか想像の範囲を超えられないのが正直なところ。
書けたブログを劇団送付してチェックしてもらうのですが、その際記事内に「1980年代がつかこうへいさんが活躍されてた頃だったか…?」という記載がありました。
その文章を見られた平井さんから、「つかさんは70年代ですよ」という訂正と共に、
70年代から90年代ぐらいの演劇がごっちゃになってしまっている私たちへ向けて
「ざっくりみんなおっさん。だと思いますが、」という衝撃的な始まりの詳しい説明をいただきました。
”いち制作者”である平井さんの主観・
ざっくりみんなおっさん。だと思いますが、
川村の世代(1960年前後生まれ)はデビューした20代の頃「なにもない世代」「新人類」と呼ばれていました。
この10歳上の世代が「全共闘世代※」だからです。つかさんはこの世代です。※1965年から1972年までの、全共闘運動・安保闘争とベトナム戦争の時期に大学時代を送った世代である。 この世代の者は15%が学生運動に関わっていたと言われている。いわゆる「怒れる若者たち」(Wikipediaより)
野田秀樹さん、渡辺えりさんらは5歳上なのでちょうど間にあたりますが、
まだかなり学生運動の残り香の濃い学生時代の世代と思われます。「新人類」たちの20代は、東西冷戦(アメリカとソ連の緊張関係ですね)がもっとも身近な演劇テーマで、
ファンタジーも含め、核戦争後の世界を描いた舞台が多いと思います。東西冷戦の終結、ソ連邦の崩壊は1989年、平成元年です。
ハイナー・ミュラー(『ハムレットマシーン』の作者)は旧東独の演劇人で、反政府思想とみなされ、
作品の執筆も上演も禁じられました。
シェイクスピアの翻訳をするという名目で許可を得『ハムレット』に取り組み、
密かに東独の現在を描き西側に流したといわれるのが『ハムレットマシーン』です。
ほんの数ページの、台詞とト書きの区別もない戯曲です。
1977年の作品ですが、彼が旧東独で上演できたのは、東西ドイツ統一の翌年1990年です。『ハムレットクローン』は、ハムレットを当時の東独に置き換えた『ハムレットマシーン』を更に、
当時の東京に換骨奪胎した、という二重構造になっています。
ご覧いただいておわかりと思いますが、
家族の中で居場所がないお父さんが、”市民演劇サークルでやったハムレットになりたくて東京を彷徨う”
というとぼけたはなしをベースに、
オールド・ゲイ・プリンスが自身の半生を語るというかたちもとっており、
少年のハムレットが、女装し、女になった、というジェンダーを問う三人のハムレットが出てきます。
この頃、ガングロ・ヤマンバ女子高生の時代でした。この作品の上演のあと、ドイツツアーに招かれました。
旧西の都市が二か所、旧東の都市が二か所。
上記から、遠い異国の演劇人によるミュラーへのオマージュが感慨深く受け止められたことは想像に難くないと思います。ベルリンの壁崩壊から10年以上が経っていましたが、旧東独は置き去りにされたままでした。
旧東独ハレーでの演劇祭は、小さな駅と、見渡す限りのほぼ廃屋の団地群が会場でした。
そこが世界各国のアーテイストの宿泊所でもあり、劇場でもあるのです。
不釣り合いにぽつんとキラキラと、新しいシネコンが一軒。
塩工場があってかつては多くの労働者家族でにぎわっていたという駅周辺。演劇祭のプロデューサーは旧西ベルリンのアーティストグループで、
「まだここから出ていけないひとがいるのが問題なのだ」と言いました。
東西貧富の差が拡大していて、出ていけないのです。
でもその団地は日本人の私からすると、懐かしい昭和の時代には憧れだった整った間取りの団地です。
なぜ出ていくの? と間抜けな質問をしたわたしに
「盗聴されている家に住みたいひとはいないでしょ」と答えました。
東は、そういうところだったのです。でも併せて「資本主義国家になったら、演劇学校に学費がかかるようになったのよ!」
「砂糖じゃないのよ、塩が配給されなくなったのよ、信じられる?」とわたしに真顔で訴える旧東の少女もいました。演劇は時代を映していきます。
今現在の時代も10年後20年後は知らないひとばかりになってしまうけれど、
優れた作品は残っていくので、ちゃんとその時代と照らして論評できるひとが、
アーティストとともに育ってほしいなあと願う今日この頃です。
この文章を拝見し、最近私が観る演劇は、
こういった”時代的な問題”を背景とした作品は少ない、ような気がします(あくまで私が観た作品、ですが)。
もちろん、時事的な問題を取り入れている作品は多くあります。
が、そもそも、数年以上の単位で起こる”問題”が多くない。
もしくは、”問題”が表面化するのが一時的・”問題”が次々に起こりすぎて風化が早い。
あるいは、様々な方向性に”問題”が細分化され、個々人が同じ”問題”に向き合うことが多くない。
そんな気もしています。
みんながそれぞれ違う”問題”に悩む現代。
そして、みんなが同じ”問題”に向き合って戦っていたその時代。
当然そうでない部分も多いと思いますが(後述しますが、平井さんからは補足と訂正をいただきました)
ともかく、私は”平井さんにもっとお話を聞きたい”と思いました。
興奮気味に社員に、平井さんからいただいたメールを見せ、こういうことをもっとたくさんの若いひとに知ってもらいたい、と話しました。
平井さんがたから見れば私も”若い世代”でしょう。
先日成人式を迎えたばかりのスタッフに、「ガングロ・ヤマンバ女子高生って知ってる?」と聞くと、
「そういう人がいたってことは知ってます」「小学校ぐらいに電車で見かけたことがあった気が…」との答え。
平井さんにそんなお話をしたところ、下記のようなメールをお返事をいただきました。
現在、男女格差ってどう感じていますか?男女雇用機会均等法が出来たのは1986年、たったまだ30年前なんです。 一期生が今50歳半ば位の方です。法律が出来たからといってすぐに企業や社会が対応できるはずもなく、 とはいえ、企業は女子も採らなきゃいけなくなったので、その頃就職した総合職の女性は本当にがんばったんです。それまで女性は事務職しか応募できなかったって、今や信じられないですよね。 大手出版社も初めて女性枠を設けましたが、1名募集に何百人?と応募してました。 男女平等は今以上にかたちだけで、白けて憤っていました。ガングロ登場は、そんな時期でした…まったくの女性目線の私見ですが、 そんな空気と無関係ではないように感じていました。
まさに戦う世代。
もちろん、当時の女子高生たちがどんな気持ちで顔を黒く塗り、目の周りを白く固めていたのかは想像するしかありません。
もしかしたら彼女らは誰かと戦っていたのかもしれませんし、ただ目立ちたかっただけかもしれません。
時代は変わり、それに呼応するように”演劇”の在り方も変わっていく(の、かもしれない)
そんな気持ちで、平井さんにいろいろな質問をさせていただきました。
前置きが長くなりました。
次回、インタビュー本編です。
ぜひ、最後までお読みいただけますと嬉しいです。
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