こんにちは!日本橋店の今村です。

このブログでも何度か言ってますが、今村は寒いのが本当に苦手です。
そろそろお布団と一体化するんじゃあないだろうかと思っています。
最近のお気に入りは湯たんぽです。シンプルイズザベスト

さて、みなさま。
前回インタビューというタイトルをつけながらも「前置きが長くなりすぎてインタビュー本編に入れなかった」ブログはご覧いただけましたでしょうか。

いやごめんなさい。でも、今回のインタビューは絶対絶対前置きしっかり置きたかったんです。
なぜなら、

若いひとは140文字で完結するTwitterに慣れているために長い文章を読まない

というのが最近の調べです(どこのアレじゃありません、私独自の感覚です)

私が目が滑る文章を書くのが悪いのですが、どちらかというとTwitterよりも個人ブログで育った33歳。
SNSよりBBSのほうが親しみがある。
点滅するリンク集!キリ番踏んだら報告必須!ああ懐かしい!

…置いといて。

長い文章になることが前提のこのインタビュー記事。
できるだけたくさんの方に読んでもらいたいなぁと思っているのです。

というわけでみなさまお待たせしてしまいました。
いよいよ

ティーファクトリー 制作 

平井佳子さん

のインタビュー開始です!

 

赤字が質問内容
紫字が質問の補足
黒字が平井さんの回答です。

ボリュームたっぷりなので、インタビュー本編も2記事に分けています。
じっくり楽しんでお読みくださいませ。

 


 

質問:

ハムレットクローン」は、こういうことを知っているとより楽しめる、という時代背景やエピソードはありますか?

今現在30代の私ですらぼんやりとしか知らない「東西冷戦の終結」「ソ連邦の崩壊」「当時の東独」「当時の東京」(私が不勉強すぎるという説もあります)。
まして10~20代ともなれば、もはや教科書の中の世界です。
全てを把握したうえで、ということは難しいですが、このクールで危ない雰囲気を持つ世界観を、どういう目で見ればもっと楽しめるのかと、質問してみました。

 

平井佳子さん(以下平井):

ハムレットクローン』は何度も改作を続けて、30代の劇作家の目線から1990年代の東京を映した作品です。
1989年にベルリンの壁が崩壊。壁が崩される歓喜のテレビ映像は信じられない光景でした。今の朝鮮半島、南北国境を思ってみてください。
昨日までそれを越えると射殺された場所で人々が手を取り合っているわけです。

ベルリンのみならず、ソ連邦の崩壊によりヨーロッパ東側の共産主義諸国は次々と崩壊しました。
当時の東とは、日本人渡航者でも滞在中常に監視され、東京に送った絵葉書は検閲により届かないこともあるという国々でした。

ハムレットクローン』を創るにあたり、インスパイアされた『ハムレットマシーン』(77年作)の劇作家ハイナー・ミュラーは東ベルリンの人です。
反政府的と見做され、出版・上演を禁止された彼は、この作品を極秘裏に西に渡したと言われているそうです。
彼自身がベルリンで上演できたのは東西ドイツ統一の翌年1990年のことです。

このころ、東京はバブルといわれた時代。
世界的に、この希望は虚飾だとみんなどこかで判っていたけど、前を向いていかなければ、という激動の時代でした。

こうして長らく世界中を不安に陥れていた東西冷戦時代が終わり、80年代小劇場が繰り返しテーマにしてきた核戦争後の世界は回避されました。
そして90年代が始まったのです。

1995年作の『東京トラウマ(第三エロチカ/東京国際舞台芸術フェスティバルにて初演)』が創作手法としての原型です。
台詞とト書きの区別がなく、言葉とイメージが羅列されている僅かなテキストからワークショップで創りあげていく方法です。
稽古前にガッチリ戯曲を固めて演出に入るこれまでのスタイルとは大きく異なる冒険でした。

この年は1月に阪神・淡路大震災3月に地下鉄サリン事件が起き、演劇人には避けて通れない問いかけがあった年です。

この時点での二作を収録した川村毅戯曲集「ハムレットクローン」(論創社2000年刊)のあとがきに、90年代(30歳になって)から近現代戯曲の自明の構造への疑問が生じた、とありました。

 

「変体を続ける歴史を前にして、的確な人物造形、無理のない筋運び、それらによって浮かび上がる作者のメッセージから形成される戯曲に一体どれほどの力があるのだろう」

 

ハムレットクローン』は1998年に一年間かけた劇団ワークショップの作業から始まり、何度も改作を重ねて、その折々の事象を織り込んでいます。
その時話題になっていた事件や俗っぽい要素も色々入っています。
但し、物語の根幹は『ハムレット』であり、シェイクスピアの描いた、暗殺・内乱・侵略・蜂起をその折々の東京にアクチュアルに昇華させようと試みたものです。

なので「え?」とひいてしまうシーンもあろうかと思いますが、「えー?」と笑ってくれたらいいんじゃないかと思います

オフィーリアたちは、90年代の数年間席巻したガングロ・ヤマンバ女子高生のイメージです。
制服を着つつルーズソックスを履いて黒塗り・茶髪で、口紅の替りにコンシーラーを塗ってたそうですが白い唇で、普通に渋谷あたりにぞろぞろいました。

この社会現象の理由は色々な説があるようですが、私見ですが1985年に出来た男女雇用機会均等法も無関係でないと感じていました。
名ばかりの平等の男社会への怒りと軽蔑というエネルギー白けた感じ。
女子高生たちの制服は戦闘服に見えたかも知れません。

この法律が施行された一期生は今50代半ばの方々。
こんな男女平等が謳われたのはたったそれくらいの前なんです。
当時の男の子の目線からだとまた違う風景でしょう。

三人出てくるハムレットが、男からゲイになり女になりたい、という流れはこの事象を映していると思います。

 


 

質問:

ハムレットクローン」で一番印象に残っているシーン

ハムレットクローン」の作品を観て、かなりハードなセリフ・表現が多く、今の時代だったら上演できるのか…?!と思ってしまいました。
インパクトの強い台詞やシーンが多くありましたが、例えば作品を作るうえで印象に残ったシーンはありますか?

平井:

配信いただくにあたり久しぶりに観て、すごいな~と思いました(笑)
そういうわけで毎回改作を続けましたから、これくらい強いインパクトが必要だった時代、或いは耐えられた時代、だったんじゃないかと思います。
でもシンプルに観ていただくと、杉浦英治さん(現・世界的DJのSUGIURUMN)の全編オリジナル楽曲とか、精度を重ねたビジュアルとか、クールじゃないですか!?

ラスト、映像の中のオールド・ゲイ・プリンスが撃たれて引きになっていくシーンは、実際舞台でご覧になった方々には今も強烈に印象に残っているみたいです。

当時の稽古場で、大きな布を拡げてこの撮影の準備をしていた演出部の作業に「?(台本にあったっけ?)」位に思ってて、初めて作品の中で観たときわたしですらびっくりしました。

 


 

質問:

80年代小劇場ブームを経験した世代から見る、現在10年の演劇環境は豊かなのか、衰退へとむかっているのか

IT技術の発達により、舞台演出の幅は広がりました。
それはすなわち、「演劇」が「生身の人間が舞台上に立つからこそできる・伝えられること」という枠を超え、様々な新しい「演劇」が生まれようとしていることも意味します。
30年以上《演劇》を取り巻く環境を見続けてきた立場から、その環境はどのように変化してきたように見えますか。

 

平井:

会全体の山あり谷ありが当然演劇制作に影響してきますから、演劇も社会もこれだけ底が続くとは思わなかったという感はあります

日本の現代演劇の価値は、その多様性にあると思っていますが、ある意味それは10年前よりも健全かも知れません。元気な群雄割拠が活性には必要ですよね。

小劇場ブームといわれた頃は、今これが面白いね、というのが、演劇、映画、文学、美術など並立にあったと思います。その豊かさは取り戻したいですね。

演劇を取り巻く環境…自分たちで生み出してしまっている環境でもあるのでしょうけれど、保守になりすぎているかな…
みんな頭で計算しすぎてしまってエネルギーが下がってるのかな。

80年代以前は、基本劇団どうしは表向きだって仲が悪くて対立してました。
小劇団は俳優マネージメントオフィスではなく集団の中心のアーティストの作品を創るために集まっているわけですから、自分たちのところが一番という大人げない姿勢で。
下北沢あたりの飲み屋でうっかり同世代の劇団同士で出くわしてしまうと無意味に揉めたり。バカですけど。

でも自分はどういう演劇をしようとしてるのか常に主張し、譲らず、再考してると考えると、悪くもない若気の至りかなとも思います。

とはいえ礼節を重んじるところもあって、祝酒文化というのもありました。
先輩劇団、といっても系列でも出身でもなんでもないのですが、の初日にお熨斗を付けたお神酒を持ってご挨拶に行くのです。
でもみんな貧乏だから使い回ししたりして。
そうーっとキレイにお熨斗を剥がして自分のを貼って別のところに持って行くわけです。
ある時いただきものを飲もうかと包を開いたら、知らない名前の内熨斗があったりして。

演劇はどこまでもアナログでライブですから、必死なことしか伝わらない。
熱血は恰好悪いとされるような静かな演劇時代は去りましたが、演劇でなければならない理由が明確に無いと、IT技術が発展してるがゆえに他のコンテンツに負けてしまいます。

落ちないためには攻め続けなければ。

豊かになっているか、衰退へとむかっているかと問われれば、多分創る側が変わらない、ぶれない努力が必要かなと思います。

 


 

質問:

あの頃の方がよかったこと、今のほうが良いと思えること

30年、というと我々には途方もない時間のように思えます。
「昔はよかった、という感慨は微塵も無いです」とブログには書かれていましたが、それでも良いことがあったからこそ30年も活動を続けられたのではないのかな、と考えます。
それとも、どんどんと良くなっていくため、その変化を求めて続けられたりするのでしょうか?

 

平井:

なぜ30余年も芝居創りを続けているのかは、終わりがないからです
公演の成功とは何ぞやではありますが、20代の頃は自分が本当に満足する舞台が創れるまで頑張ろうと思ってきました。

一番つらかった時代を乗り越えたのは、なんといっても劇団で作ったこの借金を劇団で返さねばという強いモチベーションがあったりとか。

意外と人生あっという間です。
永遠に思える苦しみの中にあっても必ず終わりが来ます

小劇場ブームの頃は、最高で1万人のお客様がいらっしゃいましたが、同時期、野田秀樹さんの夢の遊眠社は3万人という時代で、人気劇団とはいえ、クールなお客様にのみ支持されている劇団でした。(ハムレットクローンをご覧になれば想像に難くないとおもいますが)
即日完売は未だ体験したこともなく、必要とされていないのだろうか、と、ずっと心折れそうな30余年です

ティーファクトリーになってから、毎回戯曲ありきのメンバーに集まっていただいて創っているのですが、気が付くと自分より年下の方がほとんどになっていて、彼らに社交辞令でも「ずっとティーファクトリーがあってください、また一緒に創りたいです」みたいなことを言っていただけると、そうか、まだもう少し頑張ろうかな、と元気をいただくようになって、今はみんなに支えられている不思議な温かい感覚があり感謝しています。

 


 

と、いうことでインタビュー前半は一旦ここまで。

ここまでの回答で、すでに完全に涙目の今村です(涙腺緩い)
演劇はどこまでもアナログでライブですから、必死なことしか伝わらない。
私はこの一文がすごく好きです。
デジタルが進化して技術も向上して、だけどやっぱり舞台の上に立っている人は生身の人間であり、その時代を生きている人なんですね。

後半の回答を読んで涙腺崩壊したのはまだ内緒です。

 

途中で何度も出ている作品「ハムレットクローン」は観劇三昧で絶賛配信中です。

ハムレットクローン(2003年作品)

インタビュー前半を読んで「???」ってなった方、興味が沸いた方、ぜひ観てみてください。

時代背景を知り、作品を観ることで、きっと楽しみ方が何倍にも変わることでしょう。

 

インタビュー本編その2に続く!

 

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